従業員のために廃業すべきか、M&Aすべきか?その問い自体を疑うところから始めよう

「従業員のためを思ってM&Aを選んだのに、数年後には多くの社員が会社を去っていた」
こうした話は、残念ながら珍しいものではありません。廃業かM&Aか。従業員の雇用を守りたいという一心で、この二択に悩まれている経営者の方は多いのではないでしょうか。
はじめまして。独立系M&Aコンサルタント/ファイナンシャル・ジャーナリストの高橋健一と申します。
私自身、父が中小企業の経営者だったこともあり、「従業員は家族同然」という経営者の気持ちは、幼い頃から肌で感じてきました。だからこそ、あえて申し上げたいことがあります。
「従業員のために廃業かM&Aか」──この問いの立て方自体に、罠が潜んでいます。
M&Aを選べば必ず雇用が守られるわけでもなく、廃業を選べば必ず従業員を不幸にするわけでもないのです。本記事では、善意の選択が誤算に終わるメカニズムと、本当の意味で従業員への責任を果たすための考え方を整理していきます。
【この記事の結論】廃業かM&Aか?従業員のために知るべき3つの視点
| 問い | 結論 |
|---|---|
| M&Aなら雇用は安泰? | 必ずしもそうとは言えません。「事実上のリストラ」のリスクがあり、買い手の目的や契約内容(雇用維持条項)の確認が不可欠です。 |
| 廃業は従業員を見捨てること? | 準備次第で責任は果たせます。業績に余力があるうちの「計画的な廃業」であれば、手厚い退職金の支払いや再就職支援も可能です。 |
| 本当の論点は? | 「どちらがマシか」ではなく「どうすれば守れるか」。M&Aなら「雇用維持条項」、廃業なら「十分な準備」が従業員を守る鍵となります。 |

M&Aを選んだのに従業員が去った──「善意の選択」に潜む落とし穴
「雇用を守りたい」という思いがM&Aを選ばせた
後継者が見つからず、廃業を考え始めた経営者が最終的にM&Aを選ぶ理由として最も多いのが、「従業員の雇用を守りたい」という思いです。
金融機関時代、私は数多くの経営者と対話してきました。その中で印象的だったのは、自分の退職金や売却益よりも先に「うちの社員たちは大丈夫だろうか」と口にされる経営者の多さです。20年、30年と共に歩んできた従業員を路頭に迷わせたくない。その気持ちは痛いほどよくわかります。
しかし、この「従業員のため」という強い思いが、時として意思決定の枠組みを固定してしまうことがあります。つまり、「M&A=雇用を守れる」「廃業=雇用を失わせる」という二項対立に陥り、M&A以外の選択肢を冷静に検討できなくなるのです。
帝国データバンクの調査によると、2024年の休廃業・解散は約6万9,000件で過去最多を更新し、そのうち51.1%が黒字企業でした。黒字にもかかわらず後継者不在で事業をたたむ企業が半数以上を占める現実は、M&Aへの期待をいっそう高める要因にもなっています。
ただ、期待が大きいからこそ、その期待が裏切られたときの落胆もまた大きいのです。
それでも雇用が失われた──「事実上のリストラ」という現実
M&A後、買い手企業が直接的に「解雇」を行うケースは、実はそれほど多くありません。労働基準法や労働契約法の保護もあり、株式譲渡であれば雇用契約はそのまま引き継がれるのが原則です。
問題は、直接的な解雇ではなく「事実上のリストラ」が発生するケースにあります。私が金融機関時代および独立後に見聞きしてきた中で、特に多いパターンは以下の3つです。
- 買収後に全社員へ遠方への転勤命令が出され、家族のいる社員が退職せざるを得なくなった
- 買い手企業の給与体系との格差が意図的に放置され、待遇の不満から自主退職が相次いだ
- 買い手企業の社風や経営方針が大きく変わり、幹部クラスの社員から次々と辞めていった
いずれも、形式上は「自己都合退職」であり、会社側からの解雇ではありません。しかし実態としては、買い手の意図的・構造的な対応が退職を促しているケースがあるわけです。
また、買収の目的がそもそも「ブランドや設備、顧客基盤の獲得」であり、人材の確保が優先事項ではなかったというケースも存在します。口頭では「皆さんの雇用は守ります」と言いながら、最終契約書に具体的な雇用維持条項が盛り込まれていなければ、その約束には法的拘束力がないということを覚えておく必要があります。
M&A後に従業員の雇用が「守られる条件」と「守られないリスク」
雇用が守られやすいM&Aの条件3つ
もちろん、M&Aによって従業員の雇用がしっかりと守られるケースの方が圧倒的に多いのも事実です。とりわけ中小企業のM&Aでは、買い手側が「人材に残ってもらわないと事業が回らない」と考えていることがほとんどです。
では、どのような条件が揃えば雇用は守られやすいのか。私の経験から、特に重要な3つの条件を整理します。
| 条件 | 根拠 | 確認方法 |
|---|---|---|
| 買収目的が「人材・ノウハウの獲得」である | 非同業種からの買収や、人手不足業種の買い手は人材を最重視する | 買い手の買収動機を直接確認し、事業計画における従業員の位置づけを聞く |
| 株式譲渡スキームが採用されている | 会社ごと承継されるため、雇用契約・勤続年数がそのまま引き継がれる | M&Aのスキーム選定段階で確認。事業譲渡の場合は転籍扱いとなり、勤続年数リセットのリスクあり |
| 最終契約書に「雇用維持条項」が明記されている | 口頭の約束には法的拘束力がない。一般的には1〜2年程度の雇用維持期間が設定される | 最終契約書のドラフト段階で、具体的な期間・条件・違反時のペナルティを確認する |
特に3つ目の「雇用維持条項」は極めて重要です。「雇用を守る」という口約束だけでは不十分であり、契約書に具体的な期間(例:クロージング後2年間)と条件(例:現行の給与水準および労働条件を維持)を明記してもらうことが不可欠です。


雇用が守られないリスクシグナル──買い手候補を見極める5つのチェックポイント
逆に、「この買い手で本当に大丈夫か」と立ち止まるべきシグナルもあります。経営者が自ら確認すべき5つのチェックポイントを挙げます。
1. 買収動機が「人材」中心か、「設備・ブランド」中心か
面談時の質問内容が設備や顧客リストばかりで、従業員のスキルや組織体制への関心が薄い場合は要注意です。
2. 買収後の事業運営計画に従業員の役割が具体的に描かれているか
「これから考えます」という回答は、計画の甘さを示唆しています。
3. 買い手企業自体の離職率や社員の評判
可能であれば、買い手企業の社員口コミや直近の人事施策を調べておきましょう。
4. 買い手が過去に行ったM&Aで、売り手従業員がどうなったか
過去の実績は、将来を予測する最も信頼性の高い情報です。
5. 雇用維持の約束が口頭のみか、書面化されているか
「うちはそういうことはしません」という抽象的な言葉だけでは、契約書上の担保にはなりません。
ここで一点、率直に申し上げます。M&A仲介会社は、成約によって報酬を得るビジネスモデルです。そのため、構造的にM&Aの成約を急ぐインセンティブがあります。
これは仲介会社を批判しているわけではなく、ビジネスの仕組みとしてそうなっているという事実です。だからこそ、経営者自身が上記のチェックポイントを主体的に確認することが大切です。
廃業でも従業員への責任は果たせる──「廃業=負け」という思い込みを解く
廃業時に経営者が法的・道義的に果たすべきこと
「廃業=従業員を見捨てること」と考える経営者は多いのですが、これは必ずしも正しくありません。廃業であっても、正しい手順を踏み、誠実に対応すれば、従業員への責任を十分に果たすことは可能です。
廃業時に経営者が果たすべき義務は、大きく「法的義務」と「道義的義務」に分かれます。
まず法的義務についてです。廃業に伴う従業員の解雇は「整理解雇」に該当しますが、廃業の場合は事業そのものがなくなるため、通常の整理解雇の4要件(人員削減の必要性、解雇回避努力、被解雇者選定の合理性、手続きの妥当性)のうち、「人員削減の必要性」と「被解雇者選定の合理性」は比較的認められやすくなります。
ただし、以下の対応は必ず行わなければなりません。
- 解雇予告を30日前までに行う(間に合わない場合は不足日数分の解雇予告手当を支払う)
- 給与・未払い残業代を完済する
- 就業規則に退職金の規定がある場合は、規定に基づいて退職金を支払う
- 離職票を速やかに交付する
- 社会保険の資格喪失届を提出する
道義的義務としては、廃業に至った経緯や今後の処遇について、従業員が納得できるまで丁寧に説明することが重要です。金融機関時代に見てきた事例でも、法的義務をきちんと果たし、人間としての誠意を尽くした廃業は、従業員との信頼関係を最後まで保てていたと感じています。
廃業時の退職金を「最大化」できるケースとは
「廃業だと退職金が出ないのでは?」と心配される方がいますが、就業規則や労働条件通知書に退職金の規定があれば、廃業時であっても支払い義務があります。
さらに重要なのは、経営者の判断と準備次第で、退職金の原資を確保し、手厚い対応をすることが可能だということです。
ポイントは「いつ廃業を決断するか」です。業績が比較的良い段階で廃業を決断すれば、退職金や廃業コストの原資を十分に確保できます。逆に、業績が悪化しきってから追い詰められて廃業する場合、退職金どころか最終月の給与すら危うくなることがあります。
つまり、「廃業」は最後の手段ではなく、経営者の意思による戦略的な選択でもあるわけです。帝国データバンクの調査でも「前向きな廃業」という考え方が浸透しつつあることが報告されています。準備した廃業と追い詰められた廃業では、従業員への影響に天と地ほどの差があることを認識しておいてください。
廃業でも従業員の再就職をサポートできる具体的手段
廃業を選んだ場合でも、経営者が積極的に動くことで、従業員の「次」を支援する方法は複数あります。
取引先・同業者への再就職の仲介
長年の事業で築いたネットワークを活かし、信頼できる取引先や同業者に直接働きかけることができます。経営者からの推薦は、従業員にとって大きな後押しになります。
在職中の求職活動を奨励する
廃業を決断したら、従業員に有給休暇を使った求職活動を認め、転職活動の時間を確保してあげましょう。
ハローワークへの再就職援助計画の提出
1つの事業所で1ヶ月以内に30人以上の離職者が出る場合は提出義務がありますが、30人未満でも任意で提出可能です。認定されると、元従業員を再雇用した企業に助成金が支払われるため、再就職が有利になります。
離職票・退職証明書の迅速な交付
失業保険の受給手続きに必要な書類を速やかに用意することは、最低限の誠意です。
社会保険から国民健康保険への切り替えに関する情報提供
健康保険の任意継続制度も含めて、選択肢を丁寧に説明しましょう。
特に、取引先や同業者への再就職の仲介は、経営者にしかできないことです。これまで何十年と築いてきた人脈を最後に活かす場面は、ここにあるのかもしれません。
「廃業かM&Aか」ではなく「どちらが本当に従業員のためか」を問い直す視座
「M&A=雇用を守る、廃業=雇用を失わせる」は本当か?──比較表で整理する
ここまでの内容を踏まえ、廃業とM&Aの従業員への影響を多角的に比較します。
| 比較軸 | 廃業 | M&A(成功ケース) | M&A(失敗ケース) |
|---|---|---|---|
| 雇用継続 | 基本的に終了 | 継続(契約に明記) | 事実上のリストラあり |
| 退職金 | 就業規則に基づく(準備次第で最大化可) | 株式譲渡なら勤続年数を引き継ぎ。事業譲渡ではリセットリスクあり | スキーム次第で減額の可能性 |
| 給与水準 | 最後の支払いで完結 | 維持または改善の可能性 | 格差放置・賃下げの可能性 |
| 会社文化・人間関係 | 消滅するが後腐れなし | 大きく変化し、離職者が出る可能性 | 著しく悪化し主要人材が流出 |
| 経営者の心理的負担 | 廃業手続きの重さはあるが、自分の手で責任を果たせる | 交渉・PMIの複雑さ | 後悔と罪悪感 |
この表をご覧いただくとわかるように、M&Aが「成功」した場合は明らかに従業員にとってメリットが大きい一方、「失敗」した場合は、計画的な廃業よりも従業員にとって不幸な結果を招くことがあるということです。
つまり、重要なのは「廃業かM&Aか」という二択ではなく、「どのような条件のM&Aなら従業員のためになるのか」「どのような準備をすれば廃業でも従業員を守れるのか」を具体的に検討することです。
経営者が自問すべき3つの問い──「従業員のため」という言葉の先にあるもの
最後に、意思決定の前に経営者に自問していただきたい3つの問いを挙げます。これは私自身、父の経営を間近で見てきた中で、また多くの経営者と対話してきた中で強く感じていることです。
1つ目:「誰にとっての幸せを想定しているか」
「従業員のため」と言うとき、それは全従業員の幸せでしょうか。特定の幹部の幸せでしょうか。それとも、「自分が従業員を守った」と思いたいという経営者自身の安堵感でしょうか。善意であること自体を否定するつもりはありませんが、善意が判断を曇らせることもあるという自覚は持っておきたいところです。
2つ目:「M&Aを選んだ場合の5年後を具体的に想像したか」
買い手の企業文化・経営方針の下で、自分の従業員たちは本当に生き生きと働けるでしょうか。「雇用が守られる」ことと「従業員が幸せに働ける」ことは、実はイコールではありません。
3つ目:「廃業した場合の6ヶ月後を具体的に想像したか」
再就職支援を尽くした上で、元従業員たちは新しい職場で新たなスタートを切っているかもしれません。なかには、それがキャリアの転機になる人もいるでしょう。廃業が「終わり」ではなく、従業員にとっての「次の始まり」になる可能性もあります。
経営者としての責任を全うするとは、どちらかの選択肢を選ぶこと自体ではなく、選択の根拠を持ち、準備を尽くすことにあるのだと、私は考えています。
よくある質問
Q. M&Aをすれば従業員の雇用は必ず守られますか?
基本的に雇用は継続されますが、「必ず守られる」とは言い切れません。買い手の目的が人材獲得であれば継続雇用が前提ですが、設備やブランドのみが目的の場合、遠方への転勤命令や給与格差の放置など「事実上のリストラ」が発生した事例も実在します。最終契約書に「雇用維持条項」を明記し、買い手企業の過去のM&A事例を確認することが不可欠です。
Q. 廃業した場合、従業員への退職金は支払う義務がありますか?
就業規則や労働条件通知書に退職金の規定がある場合は、支払い義務があります。規定がない場合は法的義務はありませんが、長年の貢献に報いるために支払うケースも多くあります。退職金の原資を確保するためには、業績が良い段階で廃業を決断し、計画的に準備することが重要です。
Q. M&Aと廃業では、従業員の退職金はどちらが有利ですか?
一概には言えません。M&Aで株式譲渡を選択した場合は勤続年数がそのまま引き継がれますが、事業譲渡の場合は転籍扱いとなり勤続年数がリセットされるリスクがあります。一方、計画的な廃業では退職金原資を十分に確保できるケースもあります。スキームと経営状態、退職金規程の内容によって大きく異なるため、事前に専門家へ相談しましょう。
Q. M&A後に従業員の給与や待遇が下がることはありますか?
あり得ます。買い手企業の給与体系に統一される過程で、一部の従業員の待遇が下がるケースがあります。また、意図的に待遇差を放置することで自主退職を誘導するケースも存在します。最終契約書に「現行の給与水準・労働条件を一定期間維持する」旨を明記することが、リスク軽減に有効です。
Q. 廃業を選んだ場合、従業員の再就職を手伝う方法はありますか?
はい、複数の方法があります。取引先・同業者のネットワークを活用した再就職の仲介、在職中の求職活動に有給休暇を充てることの奨励、ハローワークへの再就職援助計画の提出、離職票の迅速な交付などが代表的です。経営者の誠実な対応が、廃業後の関係性にも大きく影響します。
Q. 「従業員のために」M&Aを選んだのに後悔した経営者はいますか?
実例は複数存在します。私が見聞きした中にも、知名度のある買い手企業への売却後、全社員への遠方転勤命令が出され、家族のいる社員の大半が実質的に退職せざるを得なくなったケースがありました。買い手の誠実性を見極めることなく、ブランド力や提示金額に惑わされた結果です。「従業員のため」という善意が、買い手選定の判断軸を狂わせてしまうことがある点に注意が必要です。
Q. 廃業かM&Aかを決める前に、まず相談すべき専門家は誰ですか?
特定の専門家タイプを推奨する立場にはありませんが、重要なのは「利益相反がない専門家」に相談することです。M&A仲介会社は成約報酬型のビジネスモデルであるため、構造的にM&Aへの誘導バイアスがかかりやすいのが実態です。税理士、弁護士、独立系のファイナンシャル・アドバイザーなど、複数の視点から客観的な情報を集めた上で意思決定することが最も重要なプロセスです。
まとめ
「従業員のために廃業かM&Aか」──この問い自体が、実は罠です。
M&Aを選べば必ず雇用が守られるわけでも、廃業を選べば必ず従業員を不幸にするわけでもありません。重要なのは、善意に根ざした感情論ではなく、具体的な条件・契約内容・買い手の誠実性・廃業時の準備状況を冷静に検討することです。
M&Aを選ぶなら、雇用維持条項を契約書に明記し、買い手候補の過去の実績を確認する。廃業を選ぶなら、業績に余力があるうちに決断し、退職金の確保と再就職支援を準備する。経営者としての責任を全うするとは、どちらかを選ぶことではなく、選択の根拠を持ち、準備を尽くすことにあります。
「廃業とM&Aのどちらを選ぶべきか、中立な立場から整理したい」とお考えの経営者の方は、まず特定の専門家タイプに偏らない情報収集から始めてみてください。「M&A 5億の扉」では、売り手経営者の視点に立った情報を継続的に発信しています。


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