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家族に会社売却(5億円規模)をどう伝えたか? ある経営者の経験談(高橋健一によるヒアリング)

会社売却を家族にどう伝えるか―多くの経営者が直面する、答えのない問いへの一つの道標

「高橋さん、正直に言うと、会社を売却することより、家族にそれを伝えることの方がずっと怖かったんです」

2024年の秋、私のオフィスを訪れた経営者A氏(62歳)は、コーヒーカップを両手で包み込むようにして、そう切り出しました。
彼は埼玉県で精密部品製造業を営み、25年かけて年商8億円、従業員45名の会社に育て上げた創業経営者です。

会社売却という人生の重大な決断。
それを家族にどう伝えるか。

これは、中小企業経営者なら誰もが直面する、極めてデリケートな課題です。
2024年の日本企業のM&A件数は4700件と過去最多を記録しましたが、その裏側には、数字では表せない経営者と家族の葛藤があります。[1]

本記事では、実際に5億円規模でM&Aを成功させたA氏への3回にわたる詳細なヒアリングを通じて、家族への伝え方の具体的なプロセスと心構えをお伝えします。
独立系M&Aコンサルタントとして延べ200社以上の経営者をサポートしてきた私、高橋健一が、専門家の視点から重要なポイントも解説していきます。

なお、プライバシー保護の観点から、一部の詳細は変更していますが、心情や対話の本質は実際のものです。

この記事の監修者

谷口 友保
株式会社M&Aコーポレート・アドバイザリー

1971年埼玉県上尾市生まれ。1994年東京大学経済学部経営学科卒業、同年公認会計士2次試験合格。翌年同学部経済学科を卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。1996年にM&A専門の株式会社レコフへ。2007年、株式会社M&Aコーポレート・アドバイザリーを設立し代表取締役に就任。
代表者挨拶・経歴詳細はこちら

目次

経営者A氏のプロフィールとM&A決断の背景

A氏の会社概要と売却に至った経緯

A氏が経営する株式会社エース製作所(仮名)は、1999年に資本金1,000万円で創業。
主に自動車部品の精密加工を手がけ、大手メーカー3社を主要取引先として着実に成長を遂げてきました。

「創業当時は、妻と二人三脚で、文字通り寝る間も惜しんで働きました。
子どもたちには寂しい思いをさせたと思います」

A氏の家族構成は、妻(59歳)、長男(35歳・大手IT企業勤務)、長女(32歳・公務員)。
いずれも独立し、それぞれの人生を歩んでいます。

転機が訪れたのは2023年の春でした。

中小企業の経営者年齢のピークは、この20年間で50代から60~70代へと大きく上昇している中、A氏も例外ではありませんでした。[2]
主要取引先から「今後のEV化に向けた技術革新への対応」を求められ、新たな設備投資の必要性に直面。
同時に、腰痛の悪化により、現場での立ち仕事が困難になってきていました。

「後継者として期待していた工場長は、家庭の事情で地元を離れることになり…。
正直、八方塞がりでした」

家族への伝え方を悩んだ理由

A氏が最も悩んだのは、創業者としての責任感と家族への影響でした。

「会社は私の分身のようなもの。
それを手放すことは、家族にとって『お父さんが人生を否定された』と映るのではないか。
そんな恐怖がありました」

特に気がかりだったのは、以下の3点でした。

1. 妻への申し訳なさ

「創業時から苦労をかけてきた妻に、今さら『会社を売る』なんて…。裏切りと受け取られるのではないか」

2. 子どもたちの反応

「『お父さんの会社』として誇りに思ってくれているかもしれない。それを売却することで、失望させるのではないか」

3. 世間体への不安

「地域では『エース製作所の社長』として知られている。売却が『経営の失敗』と見られないか」

私は多くの経営者から同様の悩みを聞いてきましたが、A氏の葛藤は特に深いものでした。

家族に伝えるまでの準備プロセス

伝える前に整理した3つのポイント

2023年の夏、A氏は本格的にM&Aを検討し始めました。
しかし、すぐに家族に伝えたわけではありません。

「高橋さんのアドバイスで、まず自分の中で『なぜ売却するのか』を整理することから始めました」

A氏が3ヶ月かけて整理したのは、以下の3つのポイントでした。

1. なぜ売却するのか(理由の明確化)

A氏は、A4用紙10枚にわたる「売却理由書」を作成しました。
そこには、経営環境の変化、自身の健康問題、後継者不在の現実が、データとともに記されていました。

「感情論ではなく、事実を積み重ねることで、自分自身も納得できました」

2. 売却後の家族への影響(経済面・生活面)

次に、売却によって家族の生活がどう変わるかを具体的に検証しました。

  • 経済面:売却益の概算と、それによる老後資金の確保
  • 生活面:経営者としての多忙な日々から解放され、家族との時間が増えること
  • 社会的側面:地域での立場の変化と、新たな活動の可能性

「数字で示すことで、『売却は家族にとってもプラス』だと確信できました」

3. 売却後の自分のビジョン

最も時間をかけたのが、この部分でした。

「60代でリタイアするつもりはない。
次は、若い起業家を支援する仕事がしたい」

A氏は、地元の商工会議所で経営相談員として活動する構想を描いていました。

タイミングの見極め方

家族に伝えるタイミングについて、A氏は慎重に検討しました。

中小企業では主に経営者がM&Aを推進している企業の割合は61.1%と高く[3]、多くの場合、経営者が単独で決断を下します。しかし、家族への説明のタイミングは重要です。

「早すぎると不安を長引かせ、遅すぎると不信感を生む。
そのバランスが難しい」

A氏が選んだのは、「基本合意前」のタイミングでした。

具体的には、以下のような段階でした。

  • 買い手候補企業との初回面談:完了
  • デューデリジェンス(企業調査):未着手
  • 基本合意書の締結:2週間後の予定

「ある程度の方向性は見えているが、まだ引き返せる段階。
家族の意見を聞く余地がある時期を選びました」

実際の伝え方:A氏の体験談

配偶者への伝え方

2023年10月のある土曜日の夜。A氏は妻との二人だけの時間を作りました。

「子どもたちが独立してから、週末は二人でゆっくり過ごすことが増えていました。
その日も、いつものように夕食後、リビングでお茶を飲んでいる時でした」

A氏は、25年前の創業時の思い出から話し始めました。

「覚えているかい? 創業したばかりの頃、機械が故障して、二人で夜通し手作業で部品を仕上げたこと」

妻は微笑みながら頷きました。

「あの時から今まで、本当によく支えてくれた。 君のおかげで、ここまで会社を大きくすることができた」

そして、A氏は本題を切り出しました。

「実は、会社の将来について、真剣に考えているんだ。 このまま続けることが、本当に従業員や取引先、そして私たち家族にとって最善なのか…」

妻の反応は、A氏の予想とは違うものでした。

「やっと、その話をしてくれたのね」

妻は、A氏の体調や表情の変化に気づいていました。
そして、こう続けました。

「あなたが一生懸命考えて出した答えなら、私は支持するわ。 ただ、一つだけお願い。 これからは、もっと自分の体を大切にして」

A氏は、この瞬間のことを今でも鮮明に覚えています。

「妻の理解と優しさに、思わず涙が出ました。
25年間の感謝の気持ちが、一気に込み上げてきて…」

子どもたちへの伝え方

配偶者の理解を得た後、次は子どもたちへの説明でした。

A氏は、長男と長女を実家に呼び、家族4人で話し合いの場を設けました。これは、妻との相談から2週間後のことでした。

「今日は、大切な話があって集まってもらった」

A氏は、まず会社の現状を客観的に説明しました。
用意していた資料を見せながら、業界の変化、必要な投資額、自身の健康状態を順に説明。

長男が最初に口を開きました。

「父さん、正直に聞くけど、会社を売却することを考えているの?」

A氏は頷きました。

「そうだ。でも、これは敗北ではない。 会社と従業員の未来を考えた上での、前向きな決断だと思っている」

長女が続けて質問しました。

「従業員の人たちはどうなるの? 小さい頃からよくしてもらった人たちだから…」

この質問に、A氏は丁寧に答えました。

「買い手企業とは、全従業員の雇用維持を条件に交渉している。 むしろ、大手の傘下に入ることで、待遇は改善される可能性が高い」

子どもたちの反応は、驚くほど前向きでした。

長男:「父さんがそこまで考えているなら、僕たちに反対する理由はないよ。 むしろ、新しいチャレンジができるじゃない」

長女:「私も賛成。 父さんには、もっと自分の時間を楽しんでほしい」

家族会議での合意形成

個別の説明を終えた後、A氏は改めて家族全員での話し合いの場を設けました。

この家族会議で話し合われたのは、主に以下の点でした。

1. 売却金額の使い道

  • 老後資金の確保(60%)
  • 自宅のリフォーム(20%)
  • 孫の教育資金への援助(10%)
  • 新事業への投資(10%)

2. 売却後の生活設計

  • A氏:商工会議所での経営相談員として週3日勤務
  • 妻:長年の夢だった絵画教室に通う
  • 年2回の家族旅行の実施

3. 親族従業員への配慮

エース製作所には、A氏の甥が営業部長として勤務していました。彼への説明と今後の処遇について、家族で方針を確認しました。

家族会議の最後に、妻が提案しました。

「売却が決まったら、創業25周年と新たな出発を兼ねて、従業員の皆さんを招いてパーティーをしましょう」

この提案に、全員が賛成しました。

家族の反応と乗り越えた課題

予想外だった家族の反応

A氏にとって最も意外だったのは、妻の「ホッとした」という反応でした。

「実は、ずっと心配していたの。 朝早く出て、夜遅く帰ってくる生活。 体を壊すんじゃないかって」

事業承継した経営者の70.8%が現在の生活に「満足」「やや満足」と回答しているというデータ[4]がありますが、その背景には家族の安堵感もあるのでしょう。

子どもたちの反応も印象的でした。

長男は、父親の新しい挑戦を心から応援していました。

「IT業界で働いていると、変化することの大切さを日々感じます。 父さんが60歳を過ぎて新しいことに挑戦する姿は、僕にとっても刺激になります」

長女も、別の視点から賛同しました。

「公務員として地域の中小企業の相談を受けることがあるんです。 父さんの経験は、きっと多くの経営者の役に立つはず」

直面した課題と解決方法

しかし、すべてが順調だったわけではありません。A氏は、いくつかの課題に直面しました。

1. 売却金額をめぐる不安

当初、妻は売却金額について不安を抱いていました。

「本当に老後は大丈夫なの?」

この不安に対し、A氏はファイナンシャルプランナーに相談し、詳細なライフプランを作成。具体的な数字で安心感を提供しました。

2. 甥(営業部長)への説明

最も難しかったのは、親族従業員である甥への説明でした。
A氏は、家族会議の翌週、甥と個別に面談しました。

「お前には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 でも、新しい会社でも、必ずお前の能力は評価される」

甥は当初ショックを受けましたが、買い手企業が「重要な戦力として期待している」と明言したことで、前向きに受け止めるようになりました。

3. 地域での立場の変化

売却の噂が地域に広まった際、一部から否定的な声も聞こえてきました。

「エースさんも、とうとう大手に飲み込まれるのか」

この声に対し、A氏は地元の経営者仲間に直接説明して回りました。

「これは敗北ではなく、地域経済を支える新たな形。 大手の資本と技術を活用して、地元の雇用を守り、発展させる選択です」

この説明により、多くの理解を得ることができました。

専門家が見る「家族への伝え方」のポイント

伝えるべき情報の優先順位

私が多くのM&A案件を通じて見てきた経験から、家族が最も知りたがる情報には優先順位があります。

第1位:経済的な安定

配偶者には正確な金額を伝えることが望ましいです。共有財産としての側面もあり、今後の生活設計に直結するためです。
具体的な数字を示すことで、不安を解消できます。

第2位:今後の生活

売却後の日常生活がどう変わるのか。
「時間的余裕がある」「精神的余裕がある」とする割合が高いという調査結果[4]もあり、生活の質の向上を具体的にイメージしてもらうことが重要です。

第3位:経営者自身の想い

なぜ売却を決断したのか、今後何をしたいのか。経営者の本音を聞くことで、家族は安心します。

避けるべき伝え方のパターン

逆に、避けるべき伝え方もあります。

1. 「突然の告白」型

何の前触れもなく「会社を売ることにした」と告げるパターン。家族は混乱し、不信感を抱きます。

2. 「感情論のみ」型

「もう疲れた」「限界だ」といった感情的な理由だけを伝えるパターン。家族は将来への不安を募らせます。

3. 「詳細を隠す」型

「詳しいことは後で」と、重要な情報を隠すパターン。経営者個人が100%株主の場合、法的には家族の同意は不要ですが、信頼関係を損ないます。

私がA氏にアドバイスしたのは、「段階的開示法」でした。

  1. まず、現状認識を共有
  2. 次に、選択肢を提示
  3. 最後に、自身の考えを伝える

この順序により、家族は情報を消化しやすくなります。

よくある質問(FAQ)

Q: 家族に反対されたらどうすべきですか?

A: まず反対の理由を丁寧に聞き取ることが重要です。
多くの場合、情報不足や将来への不安が原因です。
A氏も当初、配偶者から心配の声がありましたが、具体的な売却後のプランを共有することで理解を得られました。
時間をかけて対話を重ねることが大切です。

場合によっては、M&Aの専門家を交えた説明会を開くことも有効です。
第三者の客観的な意見により、家族の理解が深まることがあります。

Q: どのタイミングで家族に伝えるのがベストですか?

A: 理想的には、M&Aの本格的な検討を始めた段階で、まず配偶者には伝えることをお勧めします。
秘密にする期間が長いほど、後々の信頼関係に影響します。
ただし、子どもへの伝達は年齢や状況により判断が必要です。

A氏のように「基本合意前」は一つの目安ですが、家族関係や会社の状況により最適なタイミングは異なります。
重要なのは、「決定事項」としてではなく、「相談」として伝えることです。

Q: 売却金額は家族に伝えるべきですか?

A: 配偶者には正確な金額を伝えることが望ましいです。
共有財産としての側面もあり、今後の生活設計に直結するためです。
子どもへは、必要に応じて概算額を伝える程度で十分なケースが多いです。

ただし、A氏のように具体的な使途を含めて説明することで、家族の理解と協力を得やすくなります。
透明性が信頼関係の基礎となります。

Q: 家族が会社に関わっている場合の配慮は?

A: 親族が役員や従業員の場合、より慎重な配慮が必要です。
雇用の継続条件、退職金の扱いなど、事前に買い手企業と交渉し、明確な条件を家族に提示できるよう準備しましょう。

A氏の甥のケースのように、個別面談を設け、将来のキャリアプランまで含めて話し合うことが重要です。
買い手企業の人事担当者を交えた三者面談も効果的です。

Q: 売却を決めた理由をどう説明すればよいですか?

A: 「会社の成長のため」「従業員の将来のため」「新たな挑戦のため」など、前向きな理由を中心に説明することが大切です。
後継者問題など避けられない課題がある場合も、解決策としてのM&Aという位置づけで説明しましょう。

A氏のように、データと感情のバランスを取りながら、「なぜ今なのか」「なぜこの選択なのか」を論理的に説明することで、家族の納得を得やすくなります。

Q: 家族の同意は法的に必要ですか?

A: 株式の所有状況により異なりますが、経営者個人が100%株主の場合、法的には家族の同意は不要です。
ただし、円満な家族関係を維持するためには、実質的な合意を得ることが極めて重要です。

法的な問題と感情的な問題は別物です。
A氏が示したように、家族を「共に未来を考えるパートナー」として位置づけることが、成功の鍵となります。

まとめ

会社売却を家族に伝えることは、経営者にとって最も難しい決断の一つかもしれません。

しかし、A氏の経験が示すように、誠実な姿勢と十分な準備があれば、家族は最大の理解者・支援者となってくれます。

重要なのは、家族を「報告する相手」ではなく「共に未来を考えるパートナー」として位置づけることです。

2024年の年末、売却手続きをすべて終えたA氏から、嬉しい報告がありました。

「高橋さん、来月から商工会議所で相談員として働き始めます。 妻も絵画教室で新しい友人ができて、毎日楽しそうです。 息子夫婦も『おじいちゃんがいつも家にいる』と孫が喜んでいるそうで…。 売却して、本当によかったと思っています」

会社売却によって大きな責任から解放され、自分の時間を自由に過ごすことができる。
そして、それは家族にとっても新たな幸せの始まりなのです。

M&Aは会社だけでなく、家族の新たなスタートでもあります。

中小企業においてのM&Aは、お互いのシナジーが見出しやすく、適切な相手との出会いがあれば、すべての関係者にとってWin-Winの結果をもたらします。

この記事が、同じ悩みを抱える経営者の方々の一助となれば幸いです。

あなたの決断が、家族との新しい物語の第一章となりますように。

参考文献

[1] 【1万字】2024年M&Aを振り返る|M&Aコラム, 日本M&Aセンター, 2024年12月27日
[2] 中小企業のM&Aの現状とは?, M&Aキャピタルパートナーズ, 2025年2月17日
[3] M&Aを実施した中小企業の特徴とは, 法政大学専門職大学院, 2025年
[4] 中小企業庁:2019年版白書「経営者引退後の生活」

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この記事を書いた人

中小企業のM&A、特に5億円規模の取引において、高橋健一は独立系コンサルタントとして揺るぎない存在感を放っている。大手金融機関でのキャリアから独立し、現在は「M&A 5億の扉」の専門家として、売り手経営者の立場に立った情報発信と助言を行う。

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