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5億円超M&Aを成功に導く「EBITDA倍率」徹底解説:相場と評価を高める方法

日本の中堅・中小企業M&Aで使われる「EBITDA倍率」。相場や押し上げ策を現場データで読み解き、成功確率を高める戦略を提示します。

「いくらで売れるのか?」──これは、M&Aを検討するすべての経営者に共通する最大の関心事です。
特に企業価値が5億円前後の中堅・中小企業では、売却価格の正当性をいかに説明し、買い手に納得してもらうかが交渉成功の鍵となります。

近年、M&A価格評価の現場では「EV/EBITDA倍率(エンタープライズバリュー ÷ EBITDA)」が国際的スタンダードとして定着しつつあります。
これは、企業のキャッシュ創出力が何年で回収できるかを示す実務的指標であり、買い手の判断材料として重視される場面が急増しています。

しかし、実際に売却を検討する経営者からは、以下のような疑問が頻繁に寄せられます。

  • 「業種ごとのEBITDA倍率の相場は?ウチは高く売れる業界なのか?」
  • 「ウチの会社は何倍で評価されるのか?自社独自の要素はどう反映されるのか?」
  • 「提示された倍率を高めるには何をすればいいのか?」

私自身、独立系のM&Aコンサルタントとして数多くの中堅企業ディールに関わってきましたが、こうした悩みは5億円超規模でも決して他人事ではありません。
むしろ金額規模が大きくなるほど、1倍の差が数億円というインパクトを生むため、倍率の根拠と向上策は、経営戦略そのものと言っても過言ではないのです。

本稿では、平均5.4倍という市場実績を軸に、業種別レンジ、プレミアム評価を獲得する要因、買い手を動かす開示戦略までを網羅的に解説します。
加えて、5億円前後の実例を交えつつ、M&A実務での交渉・調整ポイント、税制対応、ガイドライン運用までを実践的に解説します。

この記事の監修者

谷口 友保
株式会社M&Aコーポレート・アドバイザリー

1971年埼玉県上尾市生まれ。1994年東京大学経済学部経営学科卒業、同年公認会計士2次試験合格。翌年同学部経済学科を卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。1996年にM&A専門の株式会社レコフへ。2007年、株式会社M&Aコーポレート・アドバイザリーを設立し代表取締役に就任。
代表者挨拶・経歴詳細はこちら

目次

EBITDA倍率とは?基礎と使い方

EBITDAとEVの定義

まず、「EBITDA倍率」とは何かを正しく理解することが不可欠です。
EBITDAとは「利払い前・税引前・償却前利益(Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation and Amortization)」の略で、ざっくり言えば会社が本業で生み出す現金収益力を示します。

一方、EV(Enterprise Value:企業価値)は、以下の計算式で求めます。

EV = 株式価値(株主が保有する時価総額) + 有利子負債 - 現預金

このEVをEBITDAで割ったものが「EBITDA倍率(EV/EBITDA)」です。
つまり「会社のキャッシュ創出力を何年分買うか?」という尺度で企業価値を評価する指標なのです。

現場では、「5倍のEBITDA倍率なら、5年で買収資金が回収できる」といったイメージで使われます。

たとえば、EBITDAが1億円の企業に対し、5億円のEVで買収するなら「EV/EBITDA=5倍」。
このように、資本構成や減価償却など非経常要因を排除して企業の実力を評価できる点が、EBITDA倍率の大きなメリットです。

EBITDA倍率の基礎概念

EV/EBITDAが注目される理由

では、なぜここまでEBITDA倍率が重視されるようになったのでしょうか?
その最大の理由は、「企業間比較がしやすく、買い手にとって直感的に理解できる」からです。

特に以下の3点で優位性があります。

  1. 減価償却や税金といった非キャッシュ要因を排除することで、本業の実力を純粋に比較できる
  2. 利息支払や資本構成の違い(借入型/自己資金型)を超えてフラットな評価が可能
  3. M&A業界でグローバルスタンダードとして普及しており、外国人投資家・ファンドとも共通言語になる

とくに成長産業では、現在の利益より将来キャッシュフローを重視する傾向が強く、「実績」ではなく「予測ベース」でEV/EBITDAを設定する事例もあります。
これはSaaSなど赤字でも高値が付く理由にも直結します(後述)。

他指標との違いと補完関係

一方で、「EBITDA倍率だけではすべてを語れない」というのもまた事実です。
他の指標との補完関係を押さえておきましょう。

  • PER(株価収益率):株主にとっての利益(純利益)に着目。上場企業で多用されるが、減価償却や資本コストの影響を受けやすい。
  • EBIT倍率(営業利益倍率):償却費を含む利益で算出。重設備型・製造業で使われることが多い。
  • DCF法(ディスカウントキャッシュフロー法):将来のキャッシュフローを割引いて現在価値を算出する方法。精緻だが前提依存が強く、実務では補完的に用いられる。

私が現場でアドバイスする際は、EBITDA倍率を「物差し」として起点に置きつつ、DCFで成長性の裏付け、PERで投資回収のバランスを補完する形が多いです。

業種別・規模別EBITDA倍率相場【最新】

日本中堅・中小企業の平均レンジ

では、自社が「何倍」で評価され得るのか。
この問いに答えるには、まず全体相場の水準を把握する必要があります。

日本M&Aセンターが公表した2015年から2021年の中堅・中小企業成約データ(約1,800件)によると、EV/EBITDAの平均は約5.4倍でした。
つまり、EBITDAが1億円であれば、企業価値は5.4億円程度で着地する傾向があるということです。

実務上は「5〜6倍が標準的なレンジ」とされ、これは業種・収益性・ガバナンスなどを平均化した値です。
ただし、この「平均」をそのまま鵜呑みにしてはいけません。

重要なのは、業種ごとのレンジの幅が非常に大きいこと。
たとえばITサービスやSaaSなどでは10倍を超える取引がある一方、建設・製造業では4倍前後にとどまるケースも多く見られます。

高倍率業種(IT・SaaS等)の特徴

近年、EV/EBITDAで10倍以上の評価がつく業種として注目されているのが、ITサービス・SaaS企業です。

2025年2月公表の SaasRise「The SaaS M&A Report 2025 によると、2024年に成立した世界のプライベートSaaS企業M&Aでは、EV/EBITDAの中央値が19.2倍。また、上場SaaSを含むトップティアでは30倍を超える取引も確認されています。
こうした超高倍率の背景には、以下の要因が複合的に作用しています。

  1. リカーリングモデル:毎月・毎年の定額収益(サブスクリプション)が積み上がり、将来CFが予測しやすい
  2. ネットワーク効果:ユーザーが増えるほど価値が増す構造が、スケーラビリティを高める
  3. 高マージン体質:固定費が低く、売上が伸びるほど利益が急拡大しやすい

また、SaaS企業の場合、「実績ベース」よりも「将来予測ベース」でEBITDAを算出する買い手が多く、成長期待がそのまま倍率に反映されやすいのが特徴です。

あるシリーズA段階のIT企業が、EBITDAがまだ黒字化前にもかかわらず、5年後予測に基づき15倍のEVで評価された例もあります。
これはまさに「未来の収益力」を先取りして買収する発想であり、投資型M&Aの典型といえるでしょう。

低倍率業種(建設・製造等)の傾向

一方で、EV/EBITDAで4倍を下回る業界もあります。
特に建設業・地域密着型製造業はその代表例です。

たとえば、2022年の建設業M&A成約実績(日本M&Aセンター集計)によると、以下のような倍率が報告されています。

  • 電気工事業:平均4.0倍
  • 土木工事業:平均2.9倍
  • 一般・その他管工事 :平均3.4倍

なぜここまで低めになるのか?
主な理由は以下の3点です。

  1. 需要の地域依存:人口減少が続く地域では将来的な市場縮小リスクが大きい
  2. 設備・人手依存型:属人的なノウハウや労働集約構造が買い手にとってリスクと映る
  3. 利益変動の大きさ:受注状況によりEBITDAがブレやすく、将来予測の信頼性が低下

ただし、このような業種でも「地域シェアNo.1」「大手ゼネコンとの継続取引あり」「若手2代目社長体制」といった強みを訴求すれば、5倍以上の評価を引き出すことは可能です。
ポイントは、「業種で諦めず、企業固有の競争優位を数値で可視化すること」に尽きます。

倍率を押し上げる7つの要因

では、同じEBITDA水準であっても、なぜ一方は5倍評価され、もう一方は7倍や10倍で売却できるのか?
この違いを生み出すのが、「倍率を押し上げる要因」です。

以下では、私が現場で見てきた実例と統計的知見をもとに、特に影響が大きい7項目を解説します。

成長性・収益性

もっとも買い手の心を動かすのは、やはり将来への「成長期待」です。
特に以下の2点は、EV/EBITDAを押し上げる主因となります。

  • 高いEBITDAマージン(=売上に対するEBITDAの割合)が安定していること
  • 事業ドメインの市場拡大トレンド(例:脱炭素、省人化、DX)に乗っていること

例えば、年商10億円でEBITDAが2億円の企業(マージン20%)と、年商20億円でEBITDAが1.5億円の企業(マージン7.5%)では、前者の方が「利益体質」として評価されやすくなります。

成長性が明確な場合、買い手はDCF法で将来CFを重視する傾向があり、EBITDA倍率が2〜3倍上振れすることも珍しくありません。

独自資産と競争優位

「御社にしかない強み」は、そのまま入札競争を誘発するプレミアム評価の源泉になります。
とくに以下のような要素は、買い手が高値を付ける理由になります。

  • 独自技術・特許・商標
  • 長期契約のある大口顧客、あるいは高LTVの囲い込みモデル
  • ブランドや地域での圧倒的認知(例:◯◯県シェア60%)

ある老舗の工業部品メーカーでは、大手自動車OEMとの20年超の取引実績と「唯一無二の加工技術」を理由に、業界平均4倍のところ7.2倍で成約したケースがありました。
このように、汎用品ではなく「買い替えがきかない資産」を持つ企業は倍率で差がつきます

ガバナンスと経営陣の質

買い手にとって大きな懸念の一つが、「引継ぎ後、ちゃんと運営できるか?」という不安です。
このとき評価されるのが、残る経営陣や中核人材の質、ガバナンスの整備状況です。

とくにPMI(統合)フェーズでのスムーズな協業を見込む上で、以下は重要な評価ポイントになります。

  • 権限移譲が進み、創業者不在でも組織が回るか
  • 管理部門(経理・人事・法務)の社内対応力
  • KPI経営・会議体運営・業績管理が習慣化しているか

つまり、「経営が属人化していないか?」が重要なのです。
実際、若手後継者が明確なビジョンと改革実績を持つ企業は、最大2倍近くの倍率差が出ることもあります

財務健全性とリスク低減

買い手が最も警戒するのは、「買ったはいいが、後から爆弾が出てきた」というケースです。
そのため、以下のような要素はマイナス評価となり、EBITDA倍率のディスカウント要因となります。

  • 過大な有利子負債(借入依存型)
  • 繰延税金資産や過大在庫などBSの“水ぶくれ”
  • 潜在訴訟リスク、労使トラブル、コンプラ懸念

これらを回避・是正しておくことが、減額交渉を防ぎ、評価を維持するうえで不可欠です。

私が支援したある食品メーカーでは、労務トラブルの未然解決(就業規則改定+ハラスメント対策)を実施したことで、DD段階での価格調整を回避でき、想定通りの6.0倍でのクロージングに成功しました。

売上構成の安定性

買い手にとって重要なのは、「この収益はどれだけ持続性があるのか?」という視点です。
一過性の特需や突発的な取引に頼っている企業よりも、ストック型・反復型の売上が高い企業は、評価が高まりやすくなります。

とくにチェックされるのは以下の指標です。

  • リカーリング売上比率(定期収益):年間契約や保守・メンテナンス収益など
  • 主要顧客依存度:上位3社で売上の何割を占めているか
  • 直近3年の売上・EBITDAの変動幅:季節変動や一時要因の影響が小さいか

たとえば、売上の70%が年間契約から成り立っているBtoB IT企業では、将来のCF見通しが明瞭なため、同業の中でも1〜2倍高いEBITDA倍率が提示されやすくなります。

一方、特定顧客に依存している場合は、解約リスクを懸念してディスカウント要因となることがあります。
安定的な売上構成を「見える化」して提示することが、倍率押し上げに直結するのです。

市場ポジションとシェア優位性

「業界での立ち位置」も、EV/EBITDAに明確な影響を及ぼします。
とくに地方中堅企業では、地域密着のトップシェア企業が高く評価される傾向にあります。

例えば、以下のような情報はアピール材料になります。

  • 自社が業界内で第◯位のシェアを持つ
  • ◯◯市ではシェア60%の配達網を保有
  • ◯◯製品のOEM供給で国内3社のうちの1社

買い手は「この会社を取得すれば、業界全体への影響力が増す」「シェアを一気に奪える」と判断しやすくなり、競争入札が発生しやすい土壌になります。

実際、ある地方ドラッグチェーン(売上60億円)が、同県2位の競合企業(売上30億円)を7.0倍で買収した案件では、「市場シェア合算で地域トップになる」という戦略的な目的が背景にありました。

このように、「自社がどこに位置するか」を定量的に示すことが、評価の天秤を大きく動かす鍵となるのです。

ESG・サステナビリティ要素

近年、投資家や大企業がM&Aを検討する際、ますます重視しているのが「ESG(環境・社会・ガバナンス)」の観点です。
これは単なる形式論ではなく、企業の持続可能性と無形資産の価値を測る評価軸として、EV/EBITDAにも影響を与え始めています。

具体的には以下のような取り組みが評価されます。

  • 環境対応:脱炭素化、省エネ設備、リサイクル工程など
  • 社会性:女性管理職比率、若手人材の定着率、育児・介護制度
  • ガバナンス:社外役員の設置、内部通報制度、社内コンプライアンス研修

たとえば、再生可能エネルギー設備を導入した製造業が、SDGs型ファンドから7倍超の評価を受けた事例もありました。
買い手がファンドや上場企業である場合、ESGスコアは「買えるかどうか」そのものの判断基準になりつつあるのです。

特に2025年以降、ESGレポートや統合報告書の開示要求が中堅企業にも及びつつあるため、自社の取り組みを明文化・数値化する準備はしておくべきでしょう。

EBITDA倍率を高める実践ステップ

倍率を押し上げる要因が分かっても、現場で「何をすれば上がるのか?」が分からなければ意味がありません。
ここでは私自身が現場で企業と伴走してきた経験をもとに、中堅企業が実際に動ける4つのステップを、チェックリスト形式でご紹介します。

ステップ①:EBITDAの「絶対額」を高める

これは最も直接的な方法です。
そもそも分母のEBITDAが大きければ、同じ倍率でも評価額が上がる。
そのために私が現場でまずやるのは、PLの「伸ばせる余地」を徹底的に洗い出すことです。

チェックすべきPL改善ポイント

  • 売上構成に粗利50%以上の商材が含まれているか?
  • 毎年恒常的に発生している販管費で、削れる“癖経費”はないか?
  • 減価償却費の偏りはないか?固定資産の棚卸は済んでいるか?

図解イメージ:「EBITDA改善チャート」

売上増(高粗利商材拡販)  
   +  
コスト最適化(販管費圧縮)  
   ↓  
EBITDAの絶対額UP → EV評価が自然に上がる

ステップ②:「正常EBITDA」の開示とQoE準備

中堅企業、とくにオーナー企業では、実力を過小評価される“決算書の罠”が存在します。
私がよく直面するのが、次のようなケースです。

「社長の自宅家賃や個人車リース代が販管費に紛れていて、帳簿上のEBITDAが実際より低く見える」

これを解消するのが、QoE(Quality of Earnings)レポートの導入です。

QoEで調整すべき代表的項目

項目内容例効果
私的経費家族役員報酬、車両・社宅リースなどEBITDA+数百万円上乗せ
一過性収益・損失補助金、事故損失、訴訟費用などEBITDAの「真水化」
M&A関連コスト顧問料、評価レポート費用など一時費用を切り離して提示

私の経験上、QoE調整だけでEBITDAが15〜30%上積みされるケースは珍しくありません。
調整後の数値を買い手に提示するだけで、1倍近い倍率アップにつながることもあります。

ステップ③:買い手別の「シナジー評価」を設計する

これは戦略ステップです。
評価を買い手任せにしていては、倍率は平均で終わります。
買い手の立場に立って、「この会社を買えばどれだけ得か」を“設計”して見せるのです。

実例:買い手別シナジー提案フレーム

買い手タイプ想定されるシナジー提案ドキュメントの中身
同業者(競合)顧客クロスセル、コスト統合顧客一覧、物流網重複度分析など
地方企業(拠点拡大)地域展開のショートカット地図付きシェア分析資料
PEファンドEBITDA成長、再販戦略3年後のCF予測、IRR試算表

このように、「あなたが買えば、価値が上がる」ことを“数値で可視化”することが倍率を高める鍵になります。

ステップ④:DDフェーズで“減額交渉”を未然に潰す

買い手が提示するEVが高くても、最終価格が削られることは珍しくありません。
その多くはデューデリジェンス(DD)で“リスク”が露見した結果です。

私が必ず推奨しているのは、セルサイドDD(事前自己点検)の実施です。

減額交渉が起きやすいリスクTOP3

  1. 税務:過年度の申告漏れ、交際費の過大計上
  2. 労務:未払残業、有給未消化リスク、雇用契約書の不備
  3. 財務:在庫評価の過大、貸倒懸念債権の放置

これらを“買い手が質問する前”に自ら是正・説明しておくことで、評価が揺らがず交渉力を維持できます。

たとえば、ある印刷会社では、事前に退職給付債務の整理と、税理士との協働による決算整理を行ったことで、DD後も提示された6.5倍のEVがそのまま維持され、満額でクロージングに至りました。

補足:成功率を上げる4ステップの整理図

【図表挿入:EBITDA評価引き上げの4ステップ図】

[PL改善] → [QoE調整] → [シナジー提示] → [DDリスク封じ]
         ↓                        ↓
   EBITDA増           →       マルチプル上昇
                        ↓
                総合的な企業価値UP!

5億円超M&Aの標準プロセスと注意点

M&Aを成功に導くには、「最終契約」ではなく“走り出しからクロージング後”までが勝負です。
ここでは、5億円超ディールでありがちなトラブルも交えながら、準備→交渉→DD→クロージング→PMIまでの実務を解説します。

フェーズ①:事前準備〜買い手接触(走り出しの一歩)

このフェーズの目的はただ一つ。“魅力的な売り案件”として市場に出す準備を整えることです。

このフェーズでやること

ステップ概要
NDA(秘密保持契約)仲介やFAと契約前に交わし、情報漏洩リスクを封じる
ティーザー作成企業名を伏せた簡易概要書。買い手の一次判断に使われる
IM(インフォメモ)詳細資料(財務・顧客・人材・市場情報)。買い手選別の武器

高橋からの現場アドバイス

「ティーザーは企業の“顔写真”だと思ってください。ありきたりな表現や年商・利益の羅列だけでは、食指は動きません。“自社の強みは何か”を一文で言い切る練習をしましょう。」

フェーズ②:LOI(意向表明)〜条件交渉(勝負の中盤)

候補買い手が現れたら、ここから条件交渉の舞台に入ります。
この段階でこそ、EBITDA倍率の勝負が本格化します。

このフェーズの主な流れ

  1. 経営者面談・質疑応答
  2. LOI(買収意向表明書)の提出
  3. 条件交渉(価格・ロックアップ・雇用・表明保証 など)

成功する経営者の共通点

  • 「何が譲れないか(雇用継続・社名存続など)」を明確に伝えられる
  • 相手が“数字だけでなく人を見る”ことを理解して、熱量で語れる
  • FA任せにせず、自ら買い手との接点を持とうとする

この段階で提示されるEV/EBITDA倍率(仮評価)は、買い手の“関心レベル”を映す鏡です。
倍率が低い場合は、QoE調整・シナジー提示での巻き返しが可能なフェーズでもあります。

フェーズ③:デューデリジェンス〜最終契約(タスキの受け渡し)

買い手が本気になると、デューデリジェンス(DD)=企業の“健康診断”が始まります。
ここがM&Aにおける最大の関門です。

チェックされる主な領域

分類内容例
財務DDPL/BS整合性、在庫の過不足、未計上債務など
法務DD各種契約の整備状況、係争リスク、知財の帰属確認
税務DD消費税・法人税申告漏れ、役員報酬の扱い、税効果会計の妥当性
労務DD雇用契約書、未払残業・退職給付債務、就業規則整備

トラブル事例(高橋が現場で見た話)

ある製造業では、DD段階で「帳簿にない短期借入2,000万円」が発見され、買い手から1.2億円の減額提示を受けました。
これは「ネットデット調整」の盲点でした。
→教訓:資金繰り表と借入契約は“完全開示”しておくこと。

フェーズ④:価格調整・クロージング〜PMI(最終走者の腕次第)

DDが終わると、最終契約(SPA)に向けて最後の詰めに入ります。
このときに重視されるのが、「価格調整条件」と「PMI(統合)計画」です。

価格調整の実務:運転資本調整(Completion Adjustment)

  • 「締結時点のBSと、実際クロージング日のBSの差分」を調整
  • 通常は「正常運転資本の水準」を事前に定義し、そこからの超過・不足分を加減算
  • 適切な設定を怠ると、数千万円規模の追加調整が発生する

PMI合意が倍率の持続に効く

高橋の経験談:

「PMI軽視のM&Aは、必ず“組織が動かず”に後で後悔します。引継ぎが2ヶ月、重役が3ヶ月で退職…という例もありました。最終契約前に、“残る人材”との握りをきちんと確認すべきです。」

このように、M&Aは単なる売買契約ではなく、長距離リレーのように各フェーズで“次の成功条件”を手渡していくプロセスです。
次章では、こうした理論を支えるケーススタディ3選(成功/失敗/工夫事例)をご紹介します。

ケーススタディ:成功と失敗から学ぶ

M&Aに“教科書通り”の成功はありません。
むしろ、似た規模・同じ業界でも、経営者の判断ひとつ、準備の有無ひとつで、最終的な倍率や成約結果は大きく異なります。

ここでは、私・高橋が関与またはフォローした中堅企業のM&Aから、タイプの異なる3つの実例をご紹介します。

それぞれに、読者の方が取り入れられる「気付き」があるはずです。

ケース①:倍率6倍超で売却成功した製造業A社

A社は関東に本社を構える、年商12億円・EBITDA1.8億円の精密部品メーカー。
創業40年で高齢化が進み、後継者不在を理由にM&Aを決断されました。

当初、提示されたのはEV/EBITDA 4.8倍=約8.6億円
しかし、以下の3つの施策により、最終的に6.3倍=約11.3億円での成約となりました。

  • QoEレポートにより、家族役員報酬・私的経費等を正確に調整(EBITDA+2,000万円)
  • 顧客依存度の低さ(上位5社で全体の40%以下)を資料化し、安定性を数値で提示
  • シナジー分析資料を作成し、同業2社の入札競争を誘導

「提示倍率を鵜呑みにせず、“戦略資料”を整えて競争構造を作る」。
この姿勢が、1.5倍近い評価押し上げにつながった好例でした。

ケース②:価格ギャップで破談した飲食業B社

B社は地方都市で5店舗を展開するレストランチェーン。
年商は9億円前後、EBITDAは2,000万円と安定しており、買い手候補(上場外食企業)も複数存在していました。

しかし、最終的に交渉は破談となりました。
理由は、「業績変動の説明不足」と「買い手の不信感」でした。

  • 過去3年の売上が8億→11億→9億と大きく変動していたにもかかわらず、説明が曖昧
  • 一部店舗の閉鎖・再出店の履歴が整理されておらず、買い手が「隠しているのでは」と疑念
  • EBITDA調整もせず、売上至上主義の提示資料となっていた

後に買い手から聞いた言葉が印象的でした。

「数字に波があることは仕方ない。ただ、それを“自分の言葉で説明できない経営者”からは買えません。」

このケースは、“見せ方以前に、語れる準備が必要”であることを痛感させるものでした。

ケース③:アーンアウトでWin-WinとなったIT企業C社

C社は、クラウド系SaaSを展開する従業員25名のITベンチャー。
創業5年目、直近は赤字ながらARR(年間経常収益)は2億円を超え、リカーリングモデルが強みでした。

問題は、買い手の希望額(EV 6億円)と、売り手希望(10億円)の開きでした。
このとき採用されたのが、「アーンアウト条項」です。

具体的には以下の通りです。

  • 初期取得金額:6.5億円(EV/EBITDA倍率では評価不能な成長企業のため、ARRベース評価)
  • アーンアウト条件:3年後のARRが4億円を超えた場合、追加で3.5億円支払う
  • 現経営陣が残留し、PMIにコミットすることを前提とした合意

この設計により、買い手はリスクを抑えつつ成長を買い、売り手は最大希望価格を得る可能性を維持
実際、2年目にはARRが3.8億円を突破し、追加対価の一部が支払われました。

この事例は、特にSaaSや高成長企業における評価交渉の“現実解”として参考になります。

この3つのケースから分かるのは、M&A成功の可否は必ずしも「財務体質」だけではなく、準備・対話・交渉力に大きく左右されるという事実です。

よくある質問(FAQ)

Q1:EBITDA倍率と「利益○倍法(年買法)」は何が違うのですか?

A:評価対象と前提が異なります。
年買法(利益×年数)は、主に中小企業で伝統的に使われてきた方法で、税引後の最終利益を基に3〜5年分を掛ける手法です。
一方でEBITDA倍率は、キャッシュフローに近い利益指標(利払い・減価償却・税引前)を使い、より企業の実力に近い数値で評価する手法です。

つまり、

  • 年買法=「現金ではなく帳簿利益」に基づく国内慣行型評価
  • EBITDA倍率=「キャッシュ創出力」を評価する国際標準型

たとえば、減価償却が大きい製造業などでは、帳簿上は利益が出ていなくても、EBITDAは大きくなるため、EBITDA倍率の方が実力を反映しやすいのです。

Q2:地方企業は都会よりEBITDA倍率が低くなりますか?

A:傾向としては「0.5〜1.0倍」程度のディスカウントが生じやすいです。
理由は、地方企業のM&Aでは以下のような構造的制約があるからです。

  • 買い手候補が限定され、競争が生まれにくい
  • 成長余地(商圏拡大)が都市部に比べて乏しいと見なされる
  • 後継者難が深刻で、買い手に対する交渉力が弱くなりがち

しかし、これは絶対ではありません。
私が支援した地方の食品メーカーでは、全国チェーンとのシナジーを示すことで、東京水準に近い5.8倍での成約に成功しました。

要点は、「地元密着の強みを“全国買い手”にどう翻訳して伝えるか」です。
買い手リストを地域外にも広げ、業種横断のメリットを明示することで、地方でも倍率は上がります。

Q3:IT企業は赤字でも高倍率になるのはなぜですか?

A:将来のキャッシュフロー成長が“数値で見える化”されているからです。
SaaS型企業を例にとると、以下のような要素が「プレミアム倍率」の根拠になります。

  • ARR(年間経常収益)が前年比150%で成長中
  • チャーンレート(解約率)が2%以下で安定
  • CAC回収期間が12ヶ月以内など、ユニットエコノミクスが良好

こうしたモデルでは、現時点の利益より未来の収益創出力に価値が置かれるため、赤字でもEV/EBITDAが二桁評価になるのです。

実際、あるBtoB SaaS企業では、赤字状態ながらARR成長と契約残存年数を根拠に、19倍のEV評価が付いたケースも存在します。

ここで重要なのは、“赤字だから評価されない”ではなく、“赤字でも論理的に説明できる”かどうかなのです。

まとめ

EV/EBITDA倍率は、単なる財務指標ではありません。
それは、「貴社のキャッシュ創出力が何年で回収できるか」を、買い手の立場で測る最も実務的かつ国際的に通用する評価軸です。

日本の中堅・中小企業M&A市場における平均倍率はおおよそ5.0〜6.0倍。
しかし、これは「目安」に過ぎず、実際には業種・成長性・ガバナンス・開示力・買い手戦略によって大きく上下します。

とくに、以下の4点を「四輪駆動」で押さえた企業は、5億円規模のディールでも数億円単位の評価上振れが現実となり得ます。

  • 成長性:将来のEBITDA予測が描ける
  • 独自資産:代替困難な技術・顧客・ブランドを持つ
  • 情報整備:QoEやシナジー提案で“伝える力”を強化
  • 競争構造:複数の買い手を惹きつけられる戦略設計

私は、M&Aにおいて“高く売ること”が目的だとは思っていません。
「納得できる価格と相手に出会えること」こそが、経営者にとっての真の成功だと考えています。

本稿が、皆さまの意思決定の質を一段高める一助となれば、書き手としてこれ以上の喜びはありません。

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中小企業のM&A、特に5億円規模の取引において、高橋健一は独立系コンサルタントとして揺るぎない存在感を放っている。大手金融機関でのキャリアから独立し、現在は「M&A 5億の扉」の専門家として、売り手経営者の立場に立った情報発信と助言を行う。

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